「フィンセント・ファン・ゴッホ」ー 知らない人のいない世界で最も有名な画家の一人です。
ひとたび彼の作品が競売にかけられると、数十億円の値付けがされます。
日本では1987年に当時の安田火災海上保険が『ひまわり』を53億円で落札した話が有名です。
ゴッホの人生は1890年に齢37歳で幕を閉じました。
彼が画家を志したのが27歳であることを考えると、芸術家として活動した期間はたった10年です。
ピカソが91歳まで存命だった考えると、ゴッホの人生は太く短いものと言えます。
彼の画家としての10年は「初期」「覚醒期」「全盛期」「晩年」と4つに分けられます。
そして、彼の作品は色調や作風によって、おおよそどの時代に描かれたものか判別がつきます。
時代背景がわかると、
彼が何に挑戦をしたか
何を以て前衛画家と評価されたのか
を読み取ることができます。
それぞれの時代と作品性に着目をし、ゴッホを紐解いてみたいと思います。
ゴッホはピカソのように幼少期から才能が認められる存在ではありませんでした。
それどころか絵を学び始めたのは、彼が27歳の時でした。
駆け出し時代の作画は陰鬱で古臭く、時代遅れ・・ゴッホはオランダ片田舎の凡庸な画家でした。
ゴッホは美術商グービル商会に勤める会社員でしたが、入社7年目で解雇されました。
その後、牧師である父と同じ道を目指すも、半年で辞めさせられてしまいました。
そして弟であるテオの助言を受け人物画家となることを決心しました。
これがゴッホの画家としてのキャリアの始まりです。
ゴッホはオランダの農村を当たり歩き、農民の日常生活を題材とした絵画の制作に注力しました。
農民画は格調の高い題材でないものの、古くからある分野でブリューゲルやミレーが有名です。
中でもゴッホは<<落ち穂拾い>>で有名なミレーを手本とし、制作に励みました。
ミレーの作品は山梨県立美術館で鑑賞ができます。
ゴッホは農民の日常生活の中に「普遍性」を感じておりました。
種蒔き〜収穫までの農作業は永劫変わらないであろう営みで、そこに「美」がありました。
後に、ゴッホ深い精神性は信仰や宗教に普遍性を得ることが出来なかった資産家の心を打つことになります。
ゴッホは一連の農作業の中で特に「収穫」を題材にすることを好み数々の習作や作品を残しました。
オランダ時代の作風は暗い色調でリアルな農村の生活が題材とされています。
彼は真剣な表情を持つ労働者の「深い皺」や「太い腕」に着目し、多くの作品を残しました。
しかし、暗い色調の農民画は16世紀の作品のようでどこか古臭い印象です。
オランダ時代のゴッホ作品は評価が高いとは言えず、高額落札する作品の傾向ではありません。
高額落札されるゴッホの作品のほとんどが明るい色調の風景画や静物画です。
一方で、彼の原点となった思想や作風を理解することはゴッホを紐解く上で非常に重要です。
なぜなら、これらの根源的な美意識が「突如として」晩年の作品に顔を出すからです。
こちらが初期ゴッホの代表作です。
当時関心のあった「農民の素顔」をテーマとした作品です。全体的に暗く古臭い印象を受けませんか?
ゴッホはパリの2年間で表現方法を刷新し、才能が開花。
そして、名実ともに前衛画家となりました。
オランダ時代は暗い色調が目立ちましたが、パリでは一転して明るい色調の作風になりました。
パリ時代のゴッホに特に影響を与えたのが「新印象派」と「日本の浮世絵」です。
新印象派の存在はゴッホの画風を根本的に変えました。
新印象派とは1886年に誕生した前衛的な絵画様式で、点描画法という画期的な技法で描かれます。
点描画法は絵画を線ではなく点の集合体として表現する技法です。
印象派の色彩が経験的なもの(画家のセンス)であったことに対し、
新印象派は科学的な色彩理論を追求しました。
画家によってはパレットを使わず、生の絵の具を直接キャンバスに塗るアプローチを用います。
新印象派は19世紀後半に本格化する前衛的な芸術に大きな影響を与えました。
新印象派はジョルジュ・スーラというフランスの画家が創設しました。
国内では箱根のポーラ美術館で<<グランカンの干潮>>という作品を鑑賞できます。
⇦(新)パリ時代の風景画 (旧)オランダ時代の風景画⇨
ゴッホが日本の浮世絵版画の収集を始めたのがパリ時代です。
浮世絵師の中でも歌川広重と渓斎英泉から強い影響を受けたとされてます。
「季節」や「自然」を主題とすることを好んだゴッホにとって
一本の草のような質素なものに本質を見出す日本的な発想は魅力に映ったとされます。
浮世絵の影響を受けた作品で最も有名なのは<<タンギー爺さん>>です。
⇦(新)パリ時代の人物画 (旧)オランダ時代の人物画⇨
© Musée Rodin, Paris, France
ⒸKröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
左の作品から浮世絵風の背景が見られますね。
両作品の作風の違いは明白で、ゴッホは田舎の画家からパリの前衛画家になったのが分かります。
アルル時代の1年あまりがゴッホの全盛期と言えます。
<<ひまわり>> が書かれたのはこの時代です。
ゴッホは南仏アルルの「燃えるような太陽」と「明るい青空」に魅せられました。
当時のゴッホは思想的に色彩の表現に対し強いこだわりを持っており、
この時代の作品の特徴は「黄」と「青」の鮮やかな色彩です。
<<ひまわり>>にも現れているように、
ゴッホはとりわけ「黄」の色彩に対し強いこだわりを持ちました。
また、この時代から作品にゴッホの思想が投影される傾向が強くなり、
パリ時代の写実的な絵画から抽象的な絵画に変化していきます。
有名な逸話「耳切り事件」によりゴッホは別の地で療養することを余儀なくされ、
アルル時代は幕を閉じることになります。
アルルに到着したゴッホはすぐに南仏のプロヴァンス気候に魅了されました。
とりわけ「光」と「太陽」に魅了され、「黄」の色彩の表現に没頭しました。
彼はパリ時代から様々な黄色を表現する実験をしており、
この試みは「近似値による調和」と呼ばれることがあります。
その代表作が<<レモンの籠と瓶>>であり、
ゴッホは静物画の分野においても前衛的な作品を残すようになりました。
©︎Van Gogh Museum, Amsterdam
ゴッホ流の「近似値の調和」をお楽しみ下さい。
どことなく<<ひまわり>>と似た雰囲気を感じませんか?
鮮やかな「黄」の色彩はゴッホが長年好んだ「収穫」の主題と親和性が高く、
この時代に1つの主要な題材が完成されました。
ゴッホの代表作の1つである「種まく人」はアルル時代の作品で、
同作品はゴッホの数ある「収穫」に関連する主題の中で最高傑作とも言えます。
ⒸKröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
パリ時代の明るい色彩から鮮やかな色彩への変化を感じませんか?
「太陽の光」と「農民の日常生活での普遍性」を表現したゴッホらしい作品ですよね。
<<ひまわり>>はSOMPO美術館が誇る世界的な名画です。
1987年に当時の安田火災海上保険が53億円の値付けをしましたが、
この作品には商業的価値以外にも様々な価値が内在します。
1つは目は美術的な価値があるでしょう。
<<ひまわり>>は印象派・新印象派のどちらにも属さないゴッホらしい作品です。
2つ目は美術史的な価値が挙げられます。
「写実画」からの脱却がフォーヴィズム誕生を中心とする後世の偉大な画家に大きな影響を与えました。
3つ目はゴーギャンとの共同生活を象徴した歴史的な価値もあるかもしれません。
「耳切り事件」で終わるゴーギャンとの9週間という短い共同生活のストーリー性が、
<<ひまわり>>の価値を押し上げている気もします。
⇦(新)アルル時代の静物画 <<ひまわり>> (旧)パリ時代の静物画⇨
©︎SOMPO美術館
ⒸKröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
また静物画の黄色と緑の影にゴッホらしさが現れてます。
鮮やかな色彩に近似値の調和とゴッホ全盛期を代表するに相応しい作品だと思います。
かの有名な「耳切り事件」を転機として
1889年5月にゴッホはサン=レミ郊外にある療養院に入院することになりました。
療養中のゴッホは何度も強い発作に襲われたと伝えられております。
従って、多くの作品からは写実性でなく強い精神性が見て取れます。
この時代の作品の特徴は大きく分けて2つです。
1つ目はメランコリックさです。
パリ時代を華やか、アルル時代を鮮やかとするなら、サン=レミ時代は陰鬱さが見て取れます。
2つ目は象徴性です。
今までのゴッホは比較的忠実にデッサンをしていましたが、
この時代は無理矢理に形を捻じ曲げたり、記憶と虚像の世界を織り交ぜたりしております。
晩年のゴッホのはサイケデリックさを併せ持った
最も前衛的な作品を生み出しました。
かつてのゴッホは凡庸な田舎画家でした。
パリに渡ることで、その才能を開花させ前衛画家となったのは周知の通りです。
サン=レミ時代のゴッホは駆け出しに作成した素描の再構築を試みました。
結果として実現したのは<<悲しむ老人>>の1枚だけでしたが、
「回帰」と「記憶の絵画化」は今までになかった発想です。
かつてのゴッホは
印象派に影響を受けながら、写実的な風景画の作品を残しつつ、
新しい技法を取り入れながら、前衛画家の道を歩んでおりました。
ゴッホはサン=レミ時代に新しい挑戦を行いました。
ⒸKröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
こちらが唯一、過去作品の再構築が実現した作品です。
新旧ゴッホの融合だけでなく、「記憶の中の世界」を絵画化する挑戦を見て取ることができます。
アルル時代は鮮やかな青と黄を好んでおりましたが、
療養期は暗い色調を多用します。
その結果、鮮やかで美しい画風から一転して、
重々しく深みのある画風に変化しました。
まるで衰弱したゴッホの精神が作品に投影されているかのようです。
初期オランダ時代と全盛期アルル時代を足して2で割ったような見方も可能で
ゴッホが無意識の中で原点に回帰しているようにも見ることが出来るでしょうか。
ⒸKröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
季節は<秋>となりますが、どこか暗い印象を受けませんか?
ゴッホらしい基盤の上にパリ時代やアルル時代とも違う色使いが見て取れます。
ゴッホのモティーフで「収穫」と同じく有名なのが「糸杉」です。
このテーマは南仏時代(アルル・サン=レミ)に65点ほど書かれたと言われており、
ゴッホを紐解く上で主要なポイントであることがわかります。
その中でも集大成と言われるのが<<夜のプロヴァンスの田舎道>>です。
ゴッホの手紙で自身が「最後の挑戦」と述べている通り、非常に前衛的な作品となっております。
右に太陽、左に月が描かれた世界観
明るい夜道
この現実に存在しない風景画が
20世紀以降の芸術家に多大な影響を与えたことは想像に難くありません。
新しい時代の幕開けを呼び込んだ大作と言っても過言ではないと思います。
ちなみに<<夜のプロヴァンスの田舎道>>はサン=レミ時代最後の作品です。
ⒸKröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
「糸杉」「南仏の風景画」「印象派的な技法」・・一見するとゴッホらしい作品です。
しかし、よく見ると存在しない風景であることが分かります。
美しい風景とサイケデリックさが不思議と調和した天才的な作品だと思いませんか?
ゴッホの画家としての10年間は挑戦の繰り返しでした。
もともと若い頃から才能が評価をされていた画家ではなかったこともあり、
彼の功績が認められたのは、彼がこの世を去った後でした。
彼が後世に残した影響の大きさは計り知れず、
ゴッホは間違いなく偉大な画家であることが分かります。
この記事を読まれた方に少しでもゴッホの魅力を伝えることが出来ましたら幸いです。